こんばんは。
今日は、自分の考えを書いていこうと思います。
【"何者"にはなれない】
浅井リョウさんの「何者」を読んでみる前に、
自分のなかで悶々としていたことの答えが出たのでまとめようと思いました。
【何者かになりたい】
とは現在の自分の否定である、ということです。
今の自分ではない、別の自分になりたいという願いであると思っています。
SNSでそれぞれの生き方が、昔より何倍も見えやすくなりました。
理想の人物像が検索をするだけで、もしくはTLを流すだけで発見できてしまいます。
「でも今を否定しないと、前に進めないじゃん」
でもその何者かはあなたなんですか?という疑問が生まれます。
現在と"何者"かの間には矢印がありますか?
私は図を作ってこの事実に気がつきました。可視化って大事です。
ずっと膨らんでいく巨大な人影をみていたんじゃないかと思うわけです。
何者かにならなければいけない気がする。という日々の不安が、少し軽くなりました。
【次の問題が出てくる】
今度は大きい人影を認知すると、等身大の自分だけが残ってしまいます。
無力で、なにも突き出た能力もない自分。
こんなはずではない、もっと自分はすごい人物のはずだ、と無意識化で思ってしまっているわけです。もしくは、自分ってこんなに何もないの最低。ゴミクズと罵り、自己嫌悪に陥ります。
【こんなちっぽけな自分を認められない】
そうしてまた、誰かから借りてきた大きな影を見つめ続けてしまう。
キラキラしている、才能のある誰かの影に居座り続ける。この繰り返しで、私は何者にもなれませんでした。
その影は、私ではないからです。
【最悪のループを抜け出すには】
自分の無力さを受け止めるしかない。
深層心理が見せる夢の中でも、長年、迷路や誰かに追われていました。
無力な現実から逃げきれませんでした。
「小さい自分、無力な自分が何をやったってプラスになる。だって今マイナスなんだもん。しょうがない」
こういう開き直りしか方法が見つかりませんでした。
私と同い年で活躍している人たちの苦労や、研鑚を見ないようにしていたのかも知れません。それでも、やっぱり、羨ましいです。
でも凡人は、自分の他より秀でたものを見つける、磨いていくしか方法がないです。
何者でもない私ができるのは、今日を昨日よりも良く生きることしかできません。
明日もブログ頑張ります。